思い出の美化が解けて、途方に暮れる

エッセイ

以前フランスに住んでいた頃、最寄り駅ではなく、メトロが通っている家から徒歩30分の駅をよく使っていました。

その駅で朝に用事があり、思いの外すぐに済んだので、以前住んでいた頃と同じ帰り道を辿ってみました。

うろ覚えになっている箇所がところどころあったのですが、歩きながらどんどん蘇る記憶。

曲がり角の家の色とか、好きだった風景も、ずっと奥にしまわれていた記憶が、みるみる手前に引き出されていきます。

そこにいた人も、交わした会話も思い出せた。

胸がいっぱいで、時々深呼吸しながら歩きました。

なんでもない風景の写真を撮っていたら、近くにいた郵便屋のムッシューに「こんなところで、何を撮ってるんだろうと思ったよ」と話しかけられました。

以前ここに住んでいて、とても懐かしくて…と伝えるのをやめたのは、気持ちを声に出して今この感情を過去にしたくなかったのと、彼が笑顔で、私を不審に感じていない雰囲気だったからかもしれない。
ニコっと笑顔で頷いて、互いに「Bonne journée(良い1日を)」と言って別れました。

そして、どんどん以前住んでいた家に近づいていきます。

少し、緊張していた。

あの家で私は家族を持ったので、人と共に生きる人生の始まりの場所に、再び帰ってきました。

街角のいたるところに、まだ小さかった息子の面影があった。

石畳の歩道はベビーカーの車輪がよくつっかかって、いつも寝不足で疲れていて、少し行ったところにあるスーパーへ行くのも一苦労だったこと。

今思い出せるすべてが、私の人生において生涯宝物であることを、本能で理解している。

大切が溢れすぎて、目眩がしそうで、ゆっくり歩きました。

少し怖いけど、このままこの渦へダイブしてしまおうと、当時よく息子を遊ばせていた公園へ向かいます。

公園に着いたら、さすがに少し泣きました。

そのまま感情が溢れ出さないよう、深呼吸をして、ふうっと息を吐きながら周りを見渡すと、アジア人のお母さんが一人いるのに気づきました。

近くには、金髪の2歳くらいの男の子。顔立ちを見たら、ハーフだと分かります。

お母さんが子供へ日本語で話しかけたので、やっぱりと納得。

何の因果か、まるで9年前の自分を見ているような気分で、少し距離を置いて、しばらく二人を眺めていました。

異国で、平日の日中に、小さな子供と二人で公園にいるお母さんを見ながら「孤独だろう」と思って、はっとしました。

さっきまで、本当に幸せだったと、遠い思い出を胸に泣いていたのに、かつての自分と重ねて見ていた光景へ抱く印象が、孤独だった。

突然、我に帰ったようでした。

そうだ、私は本当に幸せで、本当に孤独だったのだと

その時に初めて、思い出を美化せずに、ありありと、自分が生きた時間を思い出した気がします。

当時はよく、息子と世界でふたりぼっちな気がしていました。

夫も、義理の両親も、友達もみんな優しかったし、マルシェのパン屋のマダムは、行くたびに息子へシューケットをくれていたし、隣の部屋に住んでいたスペイン人の夫婦も、一年違いで子供が産まれて、顔を合わせばよく話していたし

周りにたくさんの人がいたのに、どうして私は、あんなに孤独を感じていたのだろう。

再び駅まで戻る道のりは、懐かしい思い出にただ浸ることなく、過去を紐解くように、当時の様々な、決していいことばかりではない感情を、一つ一つ思い出していました。

初めて子を産んだ時に、自分がいずれ死ぬことを、その紛れもない事実を腑に落ちたように理解した気がします。

その後は激変した生活に戸惑いながらも、毎日が鮮やかで、どれだけ体が辛い時も幸せで、今日が過ぎていくのがいちいち寂しかった。

時が二度と戻らないこと
命がいずれ終わりゆくこと
今日のあの子には二度と会えないこと
いつかは離れ離れになること

幸せであればあるほど、はっきりと、くっきりしていた。光と影のように、セットで感じていたことが、確かにありました。

おそらく私が感じていた孤独は、生き物としての根源的なもので、異国という環境が手伝って、リアルにひたむきに感じられたものかもしれない。

「初めての出産と育児をフランスでしていた」と話すと、色々な人が「それは大変だったね」と言ってくれます。

9年の年月で、都合良く姿形を変えた思い出が、生涯の宝物であることは変わりませんが

孤独の記憶が、異国生活や初めての育児の大変さからというよりも

幸せすぎて無視できなかった、生き物としての孤独であったことが分かって

私はまた、途方に暮れています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました