42才、冬の終わりのフランスにて

エッセイ

今のアパートへ引っ越してから、朝サンジェルマン・アンレー城まで走り、小高い丘の上にある庭園の隅から、東の方へ果てしなく広がる大地を一望して帰る、というのが習慣になっています。

エッフェル塔や、パリ北部モンマルトルあたりの緩やかな山、少し離れた場所にあるラ・デファンスのビル群、そして昇る朝日を見て

再び庭園の中を走り帰宅する頃には、頭の中が整然とし、前向きな気持ちになっている。

やっぱり走るのはいいなぁと、毎回飽きもせず感じています。

帰宅後はヨガとストレッチをしっかりと行います。

ほどよく汗をかくので、シャワーでスッキリしたあとは、レッスンの準備や日々のルーティンに取り掛かるという流れが今の生活リズム。

2度目のフランス生活、最近ようやく生活の基盤ができてきたなぁと感じる今日この頃です。

サンジェルマン・アンレーは平和で、街並みや自然が美しく、とても居心地がよいところです。

様々な人種が暮らす大きな街なのに、雰囲気がいい。それは、フランス国内ではかなり貴重なことだと思います。

10年前のフランス生活ではラ・デファンスの近くに住んでいたのですが、そこもパリ界隈の中では比較的治安のいい、落ち着いた街でした。

それでも、どこかそわそわと、居場所がないような気がしていたのは、街のせいではなく私自身の自信のなさも関係していたのだろうと、今では思います。

あの頃、生まれたばかりだった子供達も、今は新しい学校でたくましく自分の居場所を作っていっています。

12歳になった上の子は、もう家族よりも友達といる方が何かと充実する時代へ突入しましたね。

それに伴って、自分の立ち回りも変化していく時なのだと感じます。

毎朝、丘の上から見渡す広大な風景の中で、最も目を引くのはやはりラ・デファンスのビル群です。

他に高い建物がほとんどない平地で、別世界のように佇む陸の孤島のよう。

それは、私にとって過去の象徴でした。

前回のフランスで住んでいた場所、そして東京にいた時もビルの街で生活をしていたので、ぼーっと眺めている時は、自然と過去を振り返っているような気分になります。

置いてきた時間、というのが一番しっくりくるかもしれない。

遠くの方で、少し現実感がない雰囲気で、孤立して、だけど確かな存在感を持って佇んでいる様子は、記憶の中にある場所が形を成してひょっこり姿を現したようで。

視覚的に、あまりに的確なかんじで具現化されているので、感傷や懐かしさが込み上げてくる以上に、ただ呆然と見つめてしまう。

完璧に心に当てはまるものを目の当たりにした時に、動きが止まる感じに近いかもしれない。

今、私はほぼ毎朝、そんな瞬間を目の当たりにして生きているのですが

何か自分にとって重要な物事を
その時々の感情を混ぜてリメイクせずに
ありのまま対峙できることは

なんだか、これまで抱いた一時の素晴らしい感情とは比にならないくらい、胸の内へ充足感を生むのを感じています。

願わくば、私はいつも、こんな気持ちで生きていたい。

まっさらな気持ちで、私的な感情で事実を歪めることなく、それはそこにあるだけで、大切であることをジャッジしない。

自分が何者でもない感覚で
何もかもと繋がっている感覚で
いつも生きていたい。

烏滸がましいかもしれないけれど、思うのは自由ですね😉

そしてまた、小さなことに浮き沈みを繰り返しながら、めくるめく時の流れに抗うことも諦めて

大切なことを、忘れたり思い出したりしながら

ふと立ち止まる時は、世界を美しく思う人生でありたいです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました