早朝、誰もいない街で

エッセイ

昔から、早朝の街を歩くのが好きです。

日の出30分前に出発し、産後はランニングをしている時期もありましたが、ヨガのインストラクターになってからはウォーキングか、自転車で東京湾の日の出を見に行ったりしていました。

土地が変われど、どの場所も朝の雰囲気は同じです。

澄んだ空気をすーっと吸い込み、マジックアワーでピンクになった空を見上げて、少しずつ雑音を取り戻していく街に耳をすませ、今日の始まりを体で感じる。

10代の頃から、そうして街を歩いて、同じようなことをしてきているのですが

その時間は、何も変わっていない、変わる必要のない自分で息をしている気がします。

だいぶ明るくなってきたので、そろそろ帰ろうと、誰もいないマルシェ広場を通りかかったら、スケボーをしている一人の若者がいました。

咥えタバコで、黄色いシャツを着て、特に元気な様子もなく。

彼をふと見た瞬間、「自由だな」と思った。

同時に、その反射的なリアクションへ、やんわり違和感がありました。

なんだか引っかかり、帰路を辿りながら、違和感を紐解いてみたら

今の自分が思う本当の自由は、黄色い若者が象徴しているものとは少し違うのだと、気づきました。

社会に組み込まれ、責任と相応のストレスを負いながら、安定した収入から成る暮らしがあったり、休みをどう過ごすかそれなりに選べたり

今、突然全てを置いて、リュック一つで旅に出てもいいと思っていたり

それでも日々の仕事をこなし、食事の支度をし、部屋を掃除し、人へ連絡を取りながら、きちんと生活をしている。

送っている生活の内容云々よりも

心に選択肢があることを、今は一番自由に感じます。

ありえない選択肢まで心に置きながら、今を取り巻く現実は、自分が選んだものだと理解している時は、すごく景色が遠く広がって見えている。

心の根元から喜びが沸き起こる瞬間が、そういう時です。

黄色い若者がどんな人生を生きているか、私が知ることはないですが

通りすがりの外国人が自分をきっかけに、大事にしてきたことも時代によって捉え方が変わることを感じたのを、彼が知ることもないでしょう。

どこかで選択が違ったら、私が今、あの若者だったかもしれない。

それも楽しそうだと気楽に思う自分は、今は脳内の治安が良いのでしょうね。

まだ世界を知らない頃から、早朝の誰もいない街を歩いてきたけれど、

私はこれからもずっと、同じようにその時々の自由を感じながら、どこかの街のピンクの空を見上げているような気がします。

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