何もない場所に出て、ここにあるものを知る

エッセイ

ブルターニュ地方の義理の両親宅へ滞在中、早朝に歩いたり走ったりするのは毎回恒例なのですが、何せ海辺の田舎町。

特に冬の早朝は暗くて寒くて、出発前に3回くらい「やっぱりやめようかな」と思うほど、外は過酷です🥶

家を出て少し進めば入江の海で、ロケーション的に夏は最高。その中でも、自分にとって特に思い入れのある、とっておきの場所が一つあります。そこは往復11kmくらい。

前回の滞在時、数年ぶりに訪れたのですが、やっぱりどうしてもあそこへ行きたい。

だだっ広くて何もない、風がびゅんびゅん吹き荒れる海岸、想像しただけで凍える…

だけど、行ったら必ず何か収穫があるのも知っているので、弱気な自分をなんとか誤魔化し、靴紐しめて家を出ます。

冬の早朝、真っ暗な田舎道を行く気力はなく、少し遅めに出発。

そういえば数年前の元旦の早朝、同じルートを走っていたら突然の雷雨というか嵐に見舞われ、周り何もない場所での落雷に命の危険を感じていた時、通りすがった車に助けてもらったことがあります。

大晦日の夜勤を終えた女性で「こんなとこでこんな時間に何してるの!?」と半ば呆れられたのですが、親切に家の前まで送り届けてくれました。

一年の滑り出しに思いもよらない救済を受け、その年の抱負が「自分も人を助ける(熱く)!」になるという思い出が…笑

そんなすっかり忘れていた記憶も、やはり同じ風景を見て蘇るものなのだなぁと俯瞰しつつ

実際は鼻水垂らしながらぐんぐん進みます。(汚くてすみません🙏でもめっちゃ垂れるの。寒すぎて🤧)

この橋が中間地点。

いつ通っても水面に反射した空が綺麗で、少し足を止めるポイントです。

洗車場のイルカくんがお出迎えしてくれたら、本格的な海風が吹いてきます。潮の匂いもはっきりと香ってくる。

海の気配が色濃くなっても、ここからがまた長い😅

それでも気持ち的にはラストスパートです。海はすぐそこ!

着きました。

ここで何度、心のゴールテープを切ったことか🥺🎊👍

あとはもう、道なき広野を気ままに歩いていきます。

広野の先に広がる水平線。

遠くの空のピンクを見たら、疲れも忘れてうっとり。

後ろを振り向くと、昇った朝日さん🌅

太陽が出てくる位置が、夏と冬でこんなにもズレるんだと改めて思うのも、街で暮らしているとなかなかないですね。

誰もいない、果てしなく広い場所に、自力で辿り着くと

どうしてこう、世界は自分のもののように感じるのでしょう。

烏滸がましい感じともちがって

自分が生きている世界は、自分のものであるという実感です。

少し前までは、心の大きさ、広さとかを漠然と思い描いては、果てしないものへ憧れたりしていました。

今は、心にある様々なものの、存在感や意識を占める割合だけが、日々変わりゆくように感じています。
自分の心の容量、キャパシティーのようなものを自らジャッジしたり、計ろうとすることもなくなりました。

ただ、願いのような気持ちは変わらずにあります。

心にあるもの全てを、差別なく、優劣つけず、それぞれがそれぞれの居場所を持ち続けてほしいと思うようになりました。
アレンジせずに、心地良さに偏らず、目を瞑りたいものですら、ないものとせず。

心中においてだけではなく、生きているとは、そういうことのような気がしてきています。

帰り道、じわじわと日常へ戻りながら改めて思いました。

本当の幸せは、いつも少し退屈だということ。

その時間がいつか終わることも一切考えずに、淡々延々と続くような錯覚すらしながら、感動もなく、今だけにすっぽり収まっている時がある。

時間が経って思い出す幸せの風景は、大体そういう日常の中の日常にありました。

未来の自分が帰りたくなるのは、いつも鮮明な出来事以上に、その間の余白です。

そして今日も、私はその余白の中で、何か持て余しているような気分になりながら

後から、それが数年先の未来かもしれませんが、今この退屈を、何よりの幸せだったと思い出すことも知りながら

果てしなく広がる空も、四角く切り取られた空も、同じよう無表情に見上げていたりします。

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