書道三段、継続は力なり

エッセイ

母が書の師範なので、幼い頃から書に触れてきました。

小学生の頃は、よく書き初めの代表に選ばれたので、放課後みんなが帰ったあと学校に残り、黙々と練習をしていました。

毎年1月、ストーブで暖まった練習部屋を出た時の、暗くて冷たい廊下の感じとか、今でもよく覚えています。

中学生になり、部活動や友達と遊んだり家にいる時間がぐんと減り、気づけば書かなくなっていたのですが

9年の海外生活を経て帰国し、育児が落ち着いてきた頃、母がまた書いてみてどうかと、手を引っ張ってくれたのをきっかけに再開しました。

それからは、育児と仕事の合間にコツコツと書き続け、地道な昇級、昇段を経て三段まで取り、フランスへ再び引っ越した次第です。

道のつくものは、書道しか知らないのですが

ある程度の年月、謙虚な姿勢で半紙と向き合い続けて感じているのは、果てしなく、気づきが続くことです。

それも、書とは直接関係ないことが多く、自分はただひたすら書写を続けているだけなのにおもしろいなぁと、いつまでも飽きもせず白に黒を落とし続けています。

数年前、日本武道館で行われた講習会に参加した際に、私の好きな先生が言っていた言葉を時々思い出します。

「白は沈黙。黒は告白。」

うーん、書道家という以上に芸術家。

再開した当初は、まとまった時間がなければ臨む気にもならなかったのですが、数年経った頃から、30分でも静かな時間が確保できそうならば、すうっとその世界へ入れるようになりました。

気づけばあるものではなく、意思的に集中状態へ自分を持っていけるようになったことは、書を通して得たものの中で、何よりありがたく、気に入っているものです。

冴えている時は、筆を半紙に置いた時のふさっという音を聞くだけで、手に取る筆が数千本の毛でできていて、その一本一本が一つの線や点を描く感覚がある中

窓の外の鳥の鳴き声を「綺麗だな」とか思いながら、書いていたりします。

そんなかんじの、ある種のトランス状態は、経験すればした数ほど、自己という内なる自信を揺るぎなく作り上げていくように思います。

さまざまな展覧会で賞を取り続ける母の字が、いまだ数年単位で変化していく様子を見ていると

この世界は、生涯自分を楽しませてくれる何かがあるだろうと、わくわく期待が膨らむ感覚が☺️

今日、ここフランスの地で、これまで日本でしてきたように半紙と向き合い、空気の乾燥度に合わせた墨の具合を探り

白に黒を置いた時の、ふさっとした音を聞いていたら、なんだかもう、いろんなことが些細なことに思えました。

どうしても拭えない寂しさや、孤独とかも、そんなことよりも今私はこの線を、一つの線に時間の感覚までもをおさめていくように…

のような感じで、無慈悲に自我を放り投げ、ただの没頭。私にかまってほしい人を完全孤独にさせる、それですね😅

そういう時間が人を生かすと思っているので、根音的に抱く孤独を、基本受け入れ体制なのだろうなぁ

とか思いながら、線の緩急の具合を試しているのが、なんとも心地良い朝でした。

ヨガやランニングも同じですが、行為を通して自分と向き合う時間を、忙しい中でも確保することが

結果、お金を稼いだり、華やかな付き合いをしたりすること以上に、明らかに人生を豊かにしているなぁと思います。

自分と向き合うのが辛い時もありますが、日々のコンディションに関わらず、とりあえずやってみる、となれるまで習慣化されたら

もうそれは人生の財産、此方の物ですね✌️

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